ただのみょみょぶろぐ

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アスペルガー娘の行動が幼いこと、それを受け入れること

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娘はアスペルガー症候群です。小さいうちから彼女の言動には、同世代の他の子どもと違なる点がたくさんありました。

現在彼女は14歳ですが、鳥のように羽ばたいてみたり動物のような奇声を上げてコミュニケーションをしようとしたり、日本に住んでいた頃以上に年相応の振る舞いができなくなっているように感じます。

今回は、アスペルガーの娘の行動が年相応ではないことと、それについての私の気持ちの移り変わりについて書いてみます。

日本にいた頃は、変な行動ばかりする娘が恥ずかしかった

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4歳、保育園に入ってみてわかった娘の周りの子との違い

保育園に入るまでは、娘に対して育てにくさは強く感じていたものの、他の子との違いを大きく意識する機会はありませんでした。

生まれつきの反抗期・永遠の反抗期(!)のような娘との対話に私は疲れていて(何にでも反抗するのが娘の個性みたいです。。)自分に余裕がなく、よその子と娘を比較するような余裕さえなかった気がします。

4歳、娘は保育園に入園したところ、同じ年の子どもたちとかなり様子が違うことが分かりました。

  • 常に床に寝ころがる
  • 教室を脱出して園内を徘徊
  • 自分のことを本当の名前でなく、「『ちゃっぴ』って呼んで!」と自分でつけた名前で呼ぶことを周りに要求
  • みなで行う活動(おゆうぎ等)に参加しない

などなど。。。

入園から1ヶ月で保育園の先生に受診をすすめられ、「アスペルガー症候群・ADHD」の診断をもらいます。

小学校の授業参観で感じた恥ずかしさ

娘の様子は小学校に入っても、やはり周りの子たちと何か違いました。

授業参観に行けば、娘は体育の授業をしている体育館から脱走していきました。

またある時には母親の方にやってきて抱き着いたりと、やはり周囲の子より幼い感じが強かったです。

当時の私は、周りの子と比較して、娘の落ち着きのなさを受け入れることができずにいました。

せっかく仕事の休みを取って授業参観に来たのに、結果恥ずかしい思いをすることになった。

というような気持ちだった気がします。

アスペルガーやADHDという診断名は受け入れているつもりでしたが、現状としての娘の幼さ、変わった言動を受け入れていませんでした

アメリカ移住後、娘は反抗的・抑うつ的に

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渡米当初、学校ではお地蔵様?!

 小学4年生の時、娘はアメリカに引っ越してきました。

アメリカの現地校では、教室から脱走するような勝手な行動が一切なくなりました。

そして、どうやら学校では「ほとんど動かずしゃべらず、植物のように固まっていた」ことを後で知りました。

娘と仲良くしてくれた同じクラスの子がうちに遊びに来てくれた時に、こんなことを言っていたのです。

〇〇ちゃんが笑ったり走ったりしているのを初めて見た!学校では〇〇ちゃんはいつも固まったままで、表情も全然変わらないんだよ!

だそうで。。。

アメリカの学校で言葉も分からず、緊張しきったまま長い期間を過ごさせてしまったようでした。。。

家では反抗の激化

学校ではお地蔵さまのようになっていた娘は、家では学校の反動か反抗が激しくなっていました。

父親と毎晩のように怒鳴り合いバトル状態…。

環境変化に適応できず、娘はとても苦しかったのだろうと思います。

転校先で、抑うつ状態に

娘は最初に入った学校が合わず、別な学校へと転校しました。

発達障害の問題以上に英語習得が際立って遅いことによる学力の遅れをより問題視され、学力面を重視した特別支援学級(日本でいう知的学級)に入りました

その結果、娘は周りの子どもたちに強い違和感・不快感を感じ(いつも鼻をほじっているとか、ツバをかけあって遊んでいるとか。。)、それでも学校に行かなければならず、抑うつ状態のようになってしまいました。

(娘は知的な遅れがあるわけではなく、潔癖症なところもあるので、クラスの子たちに対して強い違和感を感じていたようなのです。。。)

腕に自傷をするようになったのもこの頃でした。。。

日本語学校ではやっぱり幼い様子

現地の学校では英語の不自由さもあって緘黙に近い状態でしたが、日本語学校では自分の言葉で表現できるので、変なことをわざと言って目立とうとしたり、授業参観では私のところまで来て抱きついたりと、小学校の高学年にしては明らかに幼い様子でした。

当時もまだ周りの子より明らかに幼い娘を「恥ずかしい」と強く感じていて、正直上の子のお母さんがたと一緒にいるのが辛いと感じてしまっていました。

Special Schoolに転校後、本来の彼女らしい姿に?!

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現在は発達障害専門の学校に

いろいろあって、娘は現在の発達障害専門の学校に転校することができました。

娘は今の学校について、こう言います。

ここでわたしは少数派でなく多数派だ。

今までは常に少数派で、周りの言動を理解できなかったり周りの子の態度にイライラしていたらしい娘ですが、今の学校の子たちの行動は理解できるらしいです。

自分に似た理解しやすい人たちの中で過ごし、さらに自分の様子や不満に敏感に対応してくれる先生たちに囲まれて、やっと娘は快適な学校生活を手に入れたようです。

のびのびした表情・鳥のような羽ばたく行動

今の学校に移ってから、娘の表情は明るくなりました。自分に似た人たちと過ごす時間が増え、より自分らしく生活できるようになったみたいです。

そのためか、よく笑顔で両腕を鳥のようにパタパタさせて喜びを表現するようになりました。

14歳の行動として、鳥のように羽ばたきながら外を歩くのは、まあ普通ではないと思うのですが、今の私はこう思うのです。

娘が娘らしく行動できているのだな。」と。

今は、その行動が他の人にどう見えるかの問題はできるだけ最小限に考えるようにして、本人が快適に過ごせればいいのかなと思えるようになりました。

まとめ

今までの娘の様子を通して観察しながら、幼く見える行動を受け入れられるようになった経過を記録してみました。

今回この記事を書いてみることで、改めて娘がシビアな状態から回復しつつあることに気付き、私は嬉しく感じています。

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